ふわふわ雑記

映画とかなんかテキトーなブログのようなもの?

ハーモニーについて (女版ファイトクラブと呼ばれること)

harmonyは伊藤計劃氏の遺作であるが、この小説の感想で見かけることのあった。または、ツイッターの呟きでいつか見たことがある。ハーモニーは女性版ファイトクラブと。

 

本当にそうだろうか。これは、ファイトクラブとは何かということと、ハーモニーで語られたことを理解した上で考えるべきことであるので、また読み返して(ハーモニーはカバーが変わって売られるらしいのでその時に読もうと思っている。)からでないと責任を持った発言ができない。

 

なので、これから先は完全に僕の記憶から考えて書くものである。(また読んでから訂正なりするつもりである。)

 

まずファイトクラブで語られていること。これは訳者あとがきにも書かれている通り、

 

「自分の頭で考えろ」

 

に尽きる。人生で何をするのか。お前が必ず死ぬということを理解した上で、自分は何をしたいのか。レイモンドを啓蒙するシーンがこの映画の言いたいことである。

 

ファイトクラブについては大体こんな感じ。多分合ってる。多分。

 

では、ハーモニーはどうか。

 

ハーモニーの世界は「watch me」というシステムにより人類が統括され、健康 幸福になることを強制されている世界が舞台である。結果は、全ての人の意識を消す世界になってしまう。

 

二つの作品は全く逆の世界になるということが言える。

片方は原始時代に戻そうとし、もう片方は哲学的ゾンビにしてしまう。

 

では中身はどうだろうか。物語の結末と物語に含まれる意図や意味はイコールではない。

 

ファイトクラブは前述した自分の頭で考えろということ。ハーモニーは正直わからない。みんなが哲学的ゾンビになるっていうの怖すぎでは?→自分の頭で考えようとはならなそうな感じがする。

 

どうにもsfの世界観が事態をややこしくしている。

ファイトクラブはパラニュークがいうには現代版グレイトギャツビー。古典である。

 

優劣を比べているわけではない。

 

言語化しにくいがどう考えてもファイトクラブとハーモニーは別物であると言いたい。女性版ファイトクラブとは口が裂けても言えないと僕は考える。

 

何故そう言われてしまうのか、勘違いさせてしまった要素を少しだけ記述したい。

  1. 世界を壊そうとする(規模がでかい)
  2. 映画のラストで主人公が銃を撃つ(僕 トァン)
  3. 途中人が死ぬ(ロバートポールセン ヌァザ)
  4. タイラーとミァハ
  5. 伊藤計劃自身がミァハを女版タイラーダーデンと呼んでいたこと

大体こんな感じだと思う。

女性版ファイトクラブというのであれば、ミァハの目論見である人間の意識が消える世界を止め、さらに生府(watch me)に管理された世界を壊す

くらいやらないといけなかったはずである。

そしていくらオマージュだと言っても、伝わる意味が違うのであればそれは別物である

サブカルフリーライダー問題について自分なりに思うこと

フリーライダー問題というものが存在します。

ミクロ経済学とかで取り上げられるもので、ただ乗りという意味です。例えば花火。花火は自治体などで行われるものです。予算のために見物料を取ろうとすると、規定の場所以外でも見ることができるので、お金を払わなくても見れる。まあこんな話。

 

それで何だという話ですが、オタク活動にも結構このフリーライダーは発生しているなあと思いました。

例えば漫画の貸し借り、漫画村、アニメないし映像の違法視聴などです。

 

これらが悪いというわけではありません。(悪いことは悪いことなんですが、学生などはいかにフリーライドするかみたいなところがありますし)

図書館はどうなんだみたいなこと言われたら特に言い返せませんし。

 

単に僕がムカつくのは、フリーライダーをしておいてそのファンと名乗ることの厚かましさです。

 

いますよね。あれやこれを貸して読んだだの、映画を違法視聴しただの。

 

ただ、コンテンツにお金を払わずに得をしておいてあまつさえそのファンだのなんだのいうことは違うんじゃないのかなと思います。

 

僕自身、直接的ではなくともお金を払うということでそのコンテンツを気兼ねなく楽しめると思うのです。

 

いい大人はフリーライダーはあまりしないようにしましょう。

と言うかお金を払わない人に批評する権利ないですよね

日記:11/15

カウンセリングに行きました。

 

薬あんまり効かないんじゃないかな。と相談した結果、薬を変えても考え方の癖を変えないと治らないと言われました。

つまり、いい加減自分を許してやれよフランキーということですね。(何がつまりだよ。)

 

親の期待を裏切るという行為に僕は強く罪悪感を抱え、それが、残念だね。という話で終わらなくて、自分を責め続けている。ということです。

前回の5分もない診察は一体何だったのかというほどの、なかなか濃い診察だったと思います。

先生はちょっと厳しめかなと思ったんですが、多過ぎない言葉数で、でかなり的を射ているものであったので好感を持ちました。

 

この歳で気付くのも恥ずかしいですけど、カウンセリングもそうですが診察においても、自分の考えを相手に伝えるのはかなり難しいなと感じます。うまく伝えられなかったり、伝わらなかったりすることがあるなぁと。それはひとえに、言葉の意味する広さなり深さなりと言ったものが、個人によって違いがあるからだと考えます。

 

人生を送ると同時に人は無意識的にこの言葉はここまでの意味ですという括りを共有、並列化していくのですが、それが機械的にコピーするわけではないです。個々人の経験によりこの言葉はここまでの意味を含んでいるなぁと学習していくため、差異が生まれます。

そしてその差異が生まれた状態でコミュニケーションを取ることにより、あらぬ誤解や誤謬というものを引き起こしてしまうのです。

 

正直これはしょうがないです。当たり前です。みんな頭の中に辞書が入っているわけでもないし、言葉は変化していくものだからです。だから気をつけないといけないというのは今一度僕は心に刻みました。

 

さらに、心に留めておかないといけないのは、自分の気持ちを伝えるために言葉というものは存在しているということです。言葉とは道具であり、心がその先にあるのです。この思いや考えに名前をつけてどうにか相手に伝えようということが始まりだったと思います。そう、言葉が誕生した時に思いを馳せれば、言葉の重み、なんというかすごい感動したんだろうなぁと思います。

言葉ってすげぇ!

日記:11/12

チベット密教やシルヴィアプラス

人は皆死に向かって生きているってやつ。

そう思えば人には無駄にしている時間なんてないんだ。目を覚ませ!って説いてるやつがいる。

 

そんなこと言うやつは現実がこれっぽっちも見えちゃいない。

 

俺たちは糞みたいな世代に生まれた。何もかもが中途半端。

戦中に生まれなかったのは運がいいがそれだけ。目が悪い人間は健常者なのに、足がない奴を障害者と呼ぶ半端な未来に生まれちまった。

 

働いたって労働力相当の給与も出ない。未だにブラック企業なんてものが蔓延ってる。このクソッタレな世界。

 

大学は就職予備学校と呼ばれることさえ恥とも思わなくなっている。

 

人々の我慢。そのかわりに社会は自己責任と税金を押し付けてくる。両者とも強者の論理だ。時代は、金持ち権力者にどんどん有利に働いている。

 

そしてそれを気づかせまいと、弱者同士で争わせている。

 

毎日が大恐慌

 

クソッタレ。くたばっちまえばいいみんな全員。

自分の心理整理

このところカウンセリングに通っています。そして、自分のことをなるべく話しました。こういったものは恥ずかしがらずに、話した方がお金の節約になります。

 

僕は、中学3年の新年に祖父を亡くし、失意のまま受験を迎えました。そして、その精神状態のまま高校へ行き芯から友情を誓うような友達に出会うことはありませんでした。

 

それから勉強に身を入れるでもなく自堕落に過ごしてきました。受験にも落ちるし散々。

 

そうして浪人している時、祖母が死にまた僕の精神は一歩死に近づいていきました。親に相談できるわけでもなく、溜め込んだまま鬱屈していきました。

 

浪人すら失敗し、最悪な精神状態のまま大学生活を迎えます。ここでの生活を記述することはかなり気がひけます。

 

そして公務員試験まで落ちました。まあこれは想定内なので別段どう言うこともないのですが、そこまで話しました。

 

そうして、そこまで聞いたカウンセラーはぬいぐるみを持ってそれが僕と同じような体験をしたと仮定して僕は彼に対して、どういう言葉をかけたいのかと問いました。

 

いきなり過ぎて僕は狼狽しました。カウセリングってこんなこと聞くんだ…と。その時には、僕はそれだけのことがあって、しかも何もケアされずここまで生きてきているのだから、むしろよくやってると言いました。そんな気負うことないと。

 

それから今考えると、僕は自分が目標を達成できないことより、他人の期待を裏切ってしまったことの方が自分にダメージがあることに気づきました。

 

なんでかなあと思っています。

 

昔から自分のことより他人を優先することがあるなあと思い当たることがあります。多分、それは他人を思いやるというより自己肯定感が低いのかなあと思います。

離人症とは違うと思うのですが、なんというかめんどくささが勝ってしまうのです。

どう目標を達成していくのかというのは今後の課題かなあと思います。

行動原理

この世の全てに何か理由があるわけじゃない。

しかし、僕のすることには大概理由がある。この頃のその理由について思い当たることがあった。

 

それは「イラつき」「ムカつき」などの怒りの感情である。マジか?と思われるかもしれないけど、考えてみるとそこに行き着くのである。

 

例えば、部屋が汚いことにムカついて掃除をする。スーパーの惣菜の値段が高いことにイラつき、「できらぁ!俺も同じ値段で美味いもん作れるって言ったんだよ!」という感情になり肉を買って料理する。

大抵疲れて料理するのが億劫になってしまうのだが、その理由は反骨心であるとわかって貰えただろうか。

 

でもこの反骨心。結構みんな抱えてるのでは?

あいつには負けたくない。人よりいい大学に入るんだ。人より面白い人間になりたい。

言ってみればこれは全て反骨心である。

マズローの言う、自己実現。自己超克。

清い理由の人の方が少ないのかも…?