ふわふわ雑記

映画とかなんかテキトーなブログのようなもの?

現実と虚構

現実とゲームをごっちゃにするなという人がいるかもしれないが、本当に区別がついていない人間に出会ったことなどないというのはまあ置いておいて、

現実と虚構というのはさして何も変わらないのではないかと思う。

人は作り物で感動するわけだし、そんなのが映画化されたりなんかして泣ける!なんて話題になるのだ。パワーで言えば虚構は現実と同じくらいパワーを持っているのだ。時には現実に影響を与えることだってある。

だが存在という観点からでも現実も大して変わらない。何かが起きて何かどうか思う。そういうのは人の受け取り方次第だ。同じことでも違う受け取り方をする。事実というのは事実となったらもう過去のものでそれを示すものなんて曖昧な記憶でしかない。本当それがあったなどと証明できることはできない。とまあマクロ的な視点から見たらそういうことになる。

なんとなくだが大したことのないように思う

しょせん他人

なぜこんなことを考えたのかということから記述することにする。

まず先日僕は、就職のことで親と喧嘩をしました。親は地元に帰ってきて欲しい(公務員)のですが僕としては、公務員はいいがしかし、僕は小説を書いたり、何か表現をすることで(商品開発や新しいサービスや店舗に携わるなど)人に良くしてあげたいという目標がある。色んな形はあると思うが、自分の考えを含ませた何かで人の心を動かしたいということだ。

僕は飛び込み未遂をし、自分とは人生とはと悩んだ結果、自分の目標をやりたいことをするということが一番なのではないだろうかと考えた。

地元でそれができればまあいいのだが、いろんな方法がある中で小説を書きたい今、この東京という地はとても得難い体験を僕にもたらしてくれている。友達さえできた。実際田舎と東京は比べ物にならないはずだ。人がいるということはそれだけでとてつもないパワーがある。

だからまだ僕は渋っている。どちらかに決めかねている。

地元でもいいじゃないかと思うかもしれないが、僕としては人生の重要な地点である今、その選択は他人に決められたくないというのが第一だ。

そうたった1つのシンプルな理由だ。

俺は意に添わぬ命令に従いたくない

 

僕は僕の目標が目指せる場所ならばどこだって構わない。しかし、それを他人に決められたくない。ということだ。

結果的に地元に戻るのはいい。それが自分の意思ならば。頼りない僕ではあるが自分の人生には責任を持ちたい。

僕が4年も苦しんだのに、助けてくれもしなかったのに、僕が生きているというのは当然のことではなくて奇跡なんだってそんなことを知らないのに。理想を押し付けてくる両親に僕は感情的になってしまった。

クレーム

私はかなり子供に近い精神構造をしているのかもしれない。

というのもこの頃感情のコントロールが効かないように感じる時があるのだ。

我慢しなくなったというのが正しいのかもしれないけど。

私が今大学に通っていることは前に記述したように思う。

私の学科は英語を取らないといけない学科なのだが、そこの担当の講師があまりにも酷い。課題をやってこなかったり態度が悪い人を見ると平気で10分授業を止め英語で説教するのだ。

叱るのは別にいいが、何が悪いのか(そもそも説明が悪い)わかっていない学生も存在し、英語でまくし立てるものだからソーリーとしかいうことができない。バカなクラスに配分されたのは十分わかっているので哀れみを持たないでほしい。

私もlazyやrudeと言われたこともある。本当はcrazyであることは関係なく、その時は単に電子辞書を使い単語を調べていただけだ。名前を聞かれ露骨に成績を下げられた。

注意した学生のノートを渡させ、放り投げたり机を倒したりしたこともあるらしい。

その授業は苦痛という言葉が適していた。

大学にもなって楽しんで授業しようなどと耳障りのいい言葉は言わないが、退屈や面倒とは違う苦痛な授業というのは生まれて初めての経験だったのでかなり驚いた。この講師ではないがfワードを使い学生をなじる講師もいるようだ。まるでライ麦畑だ。

よくあることだと思ってたが去年からかなり評判が悪いということを友人から聞いたところある疑問が浮かんだ。

 

果たしてどこで(when)彼らは評価されるのだろうか。ということだ。

私の大学では、各期末に授業のアンケートを書かされる。

出席率などをマークしたりするものだが、そこにコメント欄があった。

前にどこかの授業でコメントでこんな意見が来ましたと言っていたのを覚えていた私はそこで意見が伝わるのかと思い、教務課と呼ばれるところまで足を運びクレームをつけた。

なぜあの様な講師を雇っているのでしょうか。と質問したところ、採用担当者が面接をし問題ないとされ雇われた。と言われた。

私が聞きたいのはなぜ雇ったのではなくてなぜ今も雇っているのかという疑問であったのだが。

加えてかなり評判の悪いことを伝えた。と同時に私はある悪い予感をしていた。それは授業のアンケート欄には多くの学生は日本語で書くのではないだろうかということともしかしたらそのまま渡しているのではないかと言う予感である。

 

それは的中した。その場でアンケートをまとめている部署に連絡させたところ、数字で出るものは発表している。また書かれたコメントは講師にそのまま渡しているとの回答だった。

私はその話を聞き、長い間笑ってしまった。

まさかそんなことないだろうということが起きていたら自分でも予想外のことをしてしまうものだ。

 

私は強く主張をした。学生がその学期中に講師に直接文句など言えるわけがないだろうこと(単位を落とされる危険性も授業に行きづらくもなるそんなことをするより耐えた方が良いと多くは考える)だから意見を言えるのはその何行かのアンケートだけだ。

ネイティブの先生は日本語が使えるとは限らないこと(喋れるかもしれないが大体は読めない。件の教師は読めない)

ここでようやく何も改善されない理由が判明した。

大学はアンケートを取ってただけで一応やりましたよと表面上繕ってるだけですよね。

私はお金を払っていますが大学さんとしてはそういう態度で学生に接しているということでよろしいですねと

自分でも性格悪い言い方するなぁと思いましたがしょうがない。

是正されるらしいのでよかったです。

態度としては遠回しな皮肉を言うくらいでしたが感情を抑えることができませんでした。

 

何も書くことがない

コンビニでバイトを始めた時の話ですが、色々仕事の説明を聞いていました。僕は物覚えが悪い方(というか大事なこと以外はあまり覚えない)なので何回か同じような質問をしていました。

僕は温めはどうやるのか聞いていた時であったと思うのですが、パンは何秒温めなんですかと聞いたら、先輩はキョトンとしてからパンは温めないでしょ笑 と言われました。

僕はカレーパンが好きで良く買います。そのとき温めてもらい暖かいカレーパンを食すのが僕の幸せ係数を増やす行為となっているのです。

ああ、この人は温めたカレーパンを食べたことがないのだと思いました。可哀想です。

 

ある日僕は朝早くに映画を観に行きました。まだ朝ごはんを食べていなかったのでご飯を買いにコンビニへ向かいました。

僕は散々迷った挙句カレーパンを買い、温めをお願いしました。

そうしたら店員のお姉さんが、私もこの食べ方好きなんですよ。と話しかけてきました。

美味しいですよね。僕はそう返した。

嬉しかったです。

はあ

家事というのは大変な苦労であると一人暮らしをして身にしみます。掃除、ご飯、洗濯。大雑把にいうとこういう風に分けられるのではないでしょうか、僕は全ておざなりにしていて友達に掃除してもらったりしています。食事もそうです。多少は作れるのですが多くは買ってきてしまい、お金もかかると。とても非効率なことをしてこの三年過ごしています。洗濯もそれにもれずまあ良いかという感じです。しかし、洗濯も必ずしないといけません。いつものように服を入れ、回しました。

何分間するとピーという警告音とともに洗濯機が止まりました。何だと僕は見に行くと、そこには溢れんばかりの水で満たされた洗濯機、ポタポタと水が下の接合部から流れているではありませんか。

は!!!!これは!!!まさか!!!!洗濯機が壊れているな!!!!!!

そう思った僕は洗濯機の脱水のボタンを押しそしてしばし考え込みました。

よし!寝るか!

特に何もない1日だった

更新するにしても何かネタがないといけないなぁと思うのですが特に何もありませんでした。まあ1日寝てましたよ。寝てたらさ、そんなネタなんてあるわけないじゃないですか。

なので何となく書きます。

僕は良く瞑想をします。世に言われる瞑想と違うのかどうか知りませんが僕は寝てます。仰向けに寝て視界を暗くします。この方がいいです。さしたら深く呼吸しまぶたの裏を注視します。手はvayu mudraのポーズでもしててください。これだけです。10分くらいまぶたの裏を見続けていると、閉眼幻視とまではいきませんが、集中すると万華鏡のような模様が見えてきます。見えてきたら体をそのまま預けると、浮遊感に似た離脱感が味わえます。

コツは自分が巨大な球体に押しつぶされ伸びる感覚を持つことと、目線を上にした時自分の意識を目線の上の交差した部分おでこの裏くらいに持つことです。

寝れない人もこれで寝れます。

だから何?知らないよ。

誤用についてお話しします

この頃日本語の乱れということで色々報道で目にすることが多いやも知れませんがいかがお過ごしでしょうか。

ええ、誤用です。お縄につけ!の御用ではありません。

やばいというのは江戸時代から使われ出したという話は有名かもしれませんね。矢を打つ矢場のお店が売春みたいな話ですよ。んで、そこの女がやばいと言われたみたいな感じ早い話。そんなことはどうでもよか。

こういう話をするとウジ虫のように湧くやつがいます。いやいや。日本語は変化していく言葉だから、順応できないだけでしょ?やれやれ老害は困る。みたいなやつ周りにいませんか?

ええ、僕もほぼ同じ考えです。だってしょうがないじゃん。知らないんだもん。しょーがない。こればっかりはと思います。

しかし、それでも僕が見過ごすことのできない誤用を紹介します。

最初は さわり という言葉です。物事のさわりを話すのような意味でしょうか。触るという言葉に引っ張られるのでしょう、物事の端、最初みたいな使われ方ですね。しかし、元々はサビという意味です。物事の盛り上がりです。ジョジョでいうと最後の最後に敗北するのはどちらかーッ!です。君はディオブランドーだね。ではないのです。ええ。まあこれはしょうがないかなと思うんですが、あのですね。

僕んとこの教授が間違ってるんですよ。50超えたおっさんが間違ってるんですよ。めっちゃ頭いい教授という人種が。若い人や低脳が間違えるのはしゃーない。しかしです。教授がさわりを間違えてはいけませんよ。精神衛生な授業で教授というのはほぼ広範性スペクトラム障害者ですからね 笑 といった先生を思い出したじゃないですか!教授で使われると、ああ、こんな頭いいのに俺より国語力ないんだ…って思いますね。というか!さわりを使われるとですね。なまじ誤用と正しい方を知っている分相手がどちらの意味で使っているのか考えなくてはならないのが妙に苛立ちを高めてると思います。無駄なんだ無駄無駄…なのか滅びずにいられるかななのかどっちだ…てなりますから。ナランチャーーーッッて時もありますけど。

はい次。次は憮然という言葉です。よく小説やなんかで使われますよね。憮然とした態度をとったとか、その言葉を聞くと彼は憮然とした表情になった…とか。多分怒ってるとかそういう感じですよね。

でもこれ本来の意味は、落胆してどうすることもできないさま…だそうです。これに関しては僕も18くらいの時に知ったのであまり大きな顔していえませんが。それでもこれは許せませんね。

だってですよ!憮然←みてくださいよ。心ここに在らずって書いてあるじゃないですか!りっしんべんが見えねーのかタコ!今度から間違えた人を見たときは言いましょう。この誤用が僕の怒りゲージを溜めている理由は漢字という初見でも一目見ただけでだいたい意味が察することができるという特性を完全に無視しているからです。特に小説に出てくるなにそれ何?みたいな。小説より新聞で見たりしますけど、まあそれは置いといて。心に無いって書いて怒ってるわけねーだろ!!

はい。

次。

これはおまけですね。さわりは終わってます。

失笑です。こう言われた時どう考えるでしょうか。芸人が滑った時?それとも葬式で笑いそうになった時?

後者なんですね〜。笑ってはいけない場所、状況で笑いを堪え切れないみたいな。これに関しては僕も寛容なんですけど小説に出てくるとちょっと失笑ですね 笑

まあ、これから失笑は冷笑とか苦笑だとか嘲笑。または、いたたまれない。呆れ返ったとかの表現で代替していただければと思います。

 

誤用について、僕は寛容だと思っていますが、小説とか新聞とかでは気をつけてほしいですね。