ふわふわ雑記

映画とかなんかテキトーなブログのようなもの?

日記:11/12

チベット密教やシルヴィアプラス

人は皆死に向かって生きているってやつ。

そう思えば人には無駄にしている時間なんてないんだ。目を覚ませ!って説いてるやつがいる。

 

そんなこと言うやつは現実がこれっぽっちも見えちゃいない。

 

俺たちは糞みたいな世代に生まれた。何もかもが中途半端。

戦中に生まれなかったのは運がいいがそれだけ。目が悪い人間は健常者なのに、足がない奴を障害者と呼ぶ半端な未来に生まれちまった。

 

働いたって労働力相当の給与も出ない。未だにブラック企業なんてものが蔓延ってる。このクソッタレな世界。

 

大学は就職予備学校と呼ばれることさえ恥とも思わなくなっている。

 

人々の我慢。そのかわりに社会は自己責任と税金を押し付けてくる。両者とも強者の論理だ。時代は、金持ち権力者にどんどん有利に働いている。

 

そしてそれを気づかせまいと、弱者同士で争わせている。

 

毎日が大恐慌

 

クソッタレ。くたばっちまえばいいみんな全員。

自分の心理整理

このところカウンセリングに通っています。そして、自分のことをなるべく話しました。こういったものは恥ずかしがらずに、話した方がお金の節約になります。

 

僕は、中学3年の新年に祖父を亡くし、失意のまま受験を迎えました。そして、その精神状態のまま高校へ行き芯から友情を誓うような友達に出会うことはありませんでした。

 

それから勉強に身を入れるでもなく自堕落に過ごしてきました。受験にも落ちるし散々。

 

そうして浪人している時、祖母が死にまた僕の精神は一歩死に近づいていきました。親に相談できるわけでもなく、溜め込んだまま鬱屈していきました。

 

浪人すら失敗し、最悪な精神状態のまま大学生活を迎えます。ここでの生活を記述することはかなり気がひけます。

 

そして公務員試験まで落ちました。まあこれは想定内なので別段どう言うこともないのですが、そこまで話しました。

 

そうして、そこまで聞いたカウンセラーはぬいぐるみを持ってそれが僕と同じような体験をしたと仮定して僕は彼に対して、どういう言葉をかけたいのかと問いました。

 

いきなり過ぎて僕は狼狽しました。カウセリングってこんなこと聞くんだ…と。その時には、僕はそれだけのことがあって、しかも何もケアされずここまで生きてきているのだから、むしろよくやってると言いました。そんな気負うことないと。

 

それから今考えると、僕は自分が目標を達成できないことより、他人の期待を裏切ってしまったことの方が自分にダメージがあることに気づきました。

 

なんでかなあと思っています。

 

昔から自分のことより他人を優先することがあるなあと思い当たることがあります。多分、それは他人を思いやるというより自己肯定感が低いのかなあと思います。

離人症とは違うと思うのですが、なんというかめんどくささが勝ってしまうのです。

どう目標を達成していくのかというのは今後の課題かなあと思います。

行動原理

この世の全てに何か理由があるわけじゃない。

しかし、僕のすることには大概理由がある。この頃のその理由について思い当たることがあった。

 

それは「イラつき」「ムカつき」などの怒りの感情である。マジか?と思われるかもしれないけど、考えてみるとそこに行き着くのである。

 

例えば、部屋が汚いことにムカついて掃除をする。スーパーの惣菜の値段が高いことにイラつき、「できらぁ!俺も同じ値段で美味いもん作れるって言ったんだよ!」という感情になり肉を買って料理する。

大抵疲れて料理するのが億劫になってしまうのだが、その理由は反骨心であるとわかって貰えただろうか。

 

でもこの反骨心。結構みんな抱えてるのでは?

あいつには負けたくない。人よりいい大学に入るんだ。人より面白い人間になりたい。

言ってみればこれは全て反骨心である。

マズローの言う、自己実現。自己超克。

清い理由の人の方が少ないのかも…?

ファイトクラブ パンフレット

一年前くらいに神保町をぶらぶらしていたとき、ファイトクラブのパンフレットを見つけた。自分の部活がある知った人から大量のパンフレット入手捨てるところがないごみを引き取っただけじゃ・・・した時以外どの店でも見ないので貴重かなと思い書き写すことにした書くことがないだけだろ

 

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エドワードノートン

「ひと言でいえばメタファーだ。今までの映画とは全く違う。作品を選ぶときに自分が前にも見たような映画かどうかを重要視するんだ。この作品は、僕が全く見たことない映画だし、だれも見たことのない映画だよ。

 「ファイトクラブ」には、世代のエネルギー、抗議のエネルギーがある。僕たちの世代を象徴するものは、そのほとんどがベビーブームの世代の人々によって既に行われてきた。だから、彼らは僕たちに目もくれないのさ。スラッカー(怠け者)と呼んだり、いわゆるジェネレーションXの考え方をしり込みとか消極主義と簡単に片づけてしまう。僕たちは、目的のない空虚感ばかりではなく、根の深い懐疑心も抱いている。 情報と技術の洪水の中で怠けているのではなく、何でもシニカルに構えてしまい、絶望感や麻痺すら感じているんだ。親の世代に比べ、僕たちははるかに若い年齢で多くの知識を与えられてしまった。 脚本を渡した僕の友人は全員口を揃えて「そう!まさにこれこそ俺たちだよ!」と共感してくれた。僕も、これまでのどの出演作よりも自分自身の経験を直接演技に反映させた。

 僕たちの世代でこの映画を作れる者はフィンチャー以外にいないと思う。ストーリーテリングの手法や作品の意図を深く理解して、さらに技術的なことや最新のCGIを同じくらい把握しているのは彼だけだ。ピットのことはいくら褒めても褒め足らないよ。タイラーの邪悪な面に人を引き付ける誘惑的な魅力をプラスした彼の演技カには非常に感心している」。

 

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ブラッドピッド

「僕は毎週新しい脚本を読むけれど、しばらくすると同じようなものばかりを見て、同じような声を聞くようになるんだ。ところが、突然どこからともなくある声が聞こえてきた。それがチャック・ポーラニック(原作者)だった。「ファイト・クラブ」には「セブン・イヤーズ・イン・チベット」に共通するものがある。求める姿勢が正反対でもどちらも同じように啓発とか悟りの探求を描いている。自分自身を捕らえて鎖につなぎ止めているもの、社会の罠からの逃避、そして何事に対しても恐れを持たないこと。「ファイト・クラブ」は我々の文化への愚弄と虫ずが走るほど嫌いなのにむりやり押し付けられたものへの応答なんだ。

 作品が公開されれば道徳云々という論争に確実に捕まるだろう。さぞかしコテンパンに叩かれるだろうね。でも、芸術が人を楽しませるには時代を反映していなくてはならないんだ。我々はもうあどけない時代に生きているわけでは決してない。50年代とは違うからね。教師は必ずしも学問を教えるわけではなく、弁護士がみんな正義を守っているとは限らないことを僕たちは知っている。医者だって治療もせずに患者と寝る連中がいる。実の子供を相手に性的虐待する親だっている時代だ。でも、これらは必ずしも人間の闇の行為ではない。まぎれもない、現代の現実なんだ。これが今の社会なんだよ。

 今回は僕の従来のイメージ、つまり僕にとってのお荷物が功を奏した。現時点では、観客はスーパーマーケットに行ってどの棚に行けば僕を見つけることができるか分かった気でいる。僕もすごくそれを感じるんだ。そこで、この作品ではその期待感を完璧に裏切った。そのことにすごく開放感を感じているよ」。

知らない言葉が頭の中に浮かぶ

ライザミネリ なんの言葉かわからないけど、頭に浮かんだ。調べたら女優だった。きっとどこかで見聞きした単語であると思うのだが、覚えがない。

こういったことがままある。

よく聞いたことのないバンドの名前だとか、ある物語の登場人物の名前だとか、セリフだとかがふと頭に浮かぶ。小便垂れてる時や、寝てる時、ゲームしてる時、本を読んでる時。そのつど調べないとなんだかもやもやする。調べたからってそのモヤモヤが解消されるわけでもないのに。

about(:自殺)

自殺というのはとどのつまり強いられた死でしかない。何も影響されていないのであれば自ら死ぬなんてことは起こりえない。

それに「レミングは餌場に対して増えすぎた個体数を調節するために集団自殺なんかしない」ってことだ。

自殺をする人は単に取れる行動がそれしかなかっただけだ。

自殺は他殺だと言い換えてもさほど語弊は生まない。他。それは、偏見。常識。病気。噂。アノミー。青春。恋愛。

 

「何が原因」でそうなってしまったのかわからないけれど、「何か」によってそうなってしまったのは事実である。

 

死にたい。自分は死ぬべき人間。死ぬしか無い。

そう思っているのかもしれないが、それはそう思わされているのに過ぎない。そして、そう思わされなければならない理由というのは存在しない。

 

病気や止むに止まれない理由であれば仕方ないかもしれないが、死ぬ理由など何もない。が、

むしろ、いや、積極的に殺す。べきである。

 

何故自分が死ぬべき。だとか、死にたい。と思わされないとならないのか。死ぬのはお前だ。という発想の転換