ふわふわ雑記

映画とかなんかテキトーなブログのようなもの?

ファイトクラブについてその後

なんか一年くらい前にファイトクラブについて書いた気がして見たら、なんというかクソみたいな文を書いていて恥ずかしくなりました。

それはそれとして、この頃自分がファイトクラブについて考える時間が減り何故なんだろうと思いました。

映画としても素晴らしい映画でしたが、僕が惹かれたのはタイラーの言う思想でした。

大体の人は一度見た映画を何度も見返すことはないと思いますが、僕はその思想に影響を受けていたので、落ち込んだりした時にファイトクラブを見ていました。何度も。

それがなくなってしまった。

最初はファイトクラブに対する愛がなくなってしまったのかとも思いました。

結果から言うとそれは違いました。

ファイトクラブというものから僕はそれに込められた考えというものを読み取り、自分のものにしました。要は同化によるものではないかと思います。

あるシーンを紹介し、どういう考えがあったのか説明します。

 

中盤、ファイトクラブで出された宿題のため僕はタイラーと一緒にコンビニに向かいます。

タイラーの手には銃が握られており、僕はそれを冗談だろ?と問いかけます。

タイラーは銃で脅しコンビニ店員、レイモンドを店の裏に連れてきます。

跪かせこう言う。レイモンド お前は死ぬんだ。そしてタイラーはレイモンドが過去、大学に通っていたことを知ると何を勉強していたか聞くと生物学の勉強をしていた。 それを聞くとタイラーは、お前は何をやりたいんだと尋ねる。レイモンドは泣きながら獣医と答えた。じゃあレイモンド、獣医の勉強をしろ、住所はわかった。様子を見に行く、獣医の勉強をしていなかったら死んでもらう。そう言い解放します。

タイラーがレイモンドの食べる朝食は自分たちの食べたどんな食べ物よりもうまく感じるはずだ。と言い笑います。

 

これはハイデガーと同じと考えて良いと思います。

今まで現存在(コンビニ店員)として生きてきたレイモンドは、タイラーによって無理やり死を意識させられる。(戸田山和久さんはこれを啓蒙と呼んでいました。)

死を意識する(ハイデガーの言う死の先駆的決意)ことにより獣医になる為に勉強をすることになります。

死の先駆的決意というのは生きている人はあまり感じていないと思います。明日も明後日も一ヶ月後も来年も存在してるとみんな無意識的に思い、明日が来ると疑いもしない。だらだらと毎日を過ごし、欲しくもないものを買う。

そういう人に死を意識させることにより、自分のやりたいことがわかる。

現存在は死の先駆的決意により実存として生きることができるわけですね。

自動車事故のシーンもファイトをする理由も全てこれです。

いいですか。これがファイトクラブの全てなんです。

今までのうだつの上がらない現存在から実存に生きることでよりよい人生を送ろう!ということなんです。

この考えを映画の形にしたものがファイトクラブなんです。

この考えは僕に染み付いたことで、ファイトクラブを見る必要がなくなったのだろうと思います。

そしてこの考えは最後のシーンにもつながります。

 

タイラーに向かって僕が言う。

僕の目は開いている。

 

こういう哲学的な、今回は実存主義ですが、考えが言い含められたファイトクラブというのは僕の血肉となり、もう見なくても良くなったのではないかと思いました。