ふわふわ雑記

映画とかなんかテキトーなブログのようなもの?

邪な祈り

ここでは信用と信頼はほぼ同義として語ります。

時としてあなたは人を信頼していますか。この世には良い人が多いので自然とそうなるものなのかもしれない。あなたも友達や恋人を信頼しているはずだ。また同僚や、上司から自分は信用されてるのかなど考えることがあるかもしれない。それにあいつは信用ならん奴だと噂するかもしれない。だから信用や信頼などは人との間には自然といっていいほど存在するものだ。(誰かが信頼できないという否定的な文脈であっても)

 

しかし僕は人を信用も信頼もしていない。それは数少ない友人に対してもだ。こんなことをいうとサイコ野郎だと思われるかもしれないがあながち間違った指摘でもない。僕はある種イカレ野郎なのだろうと思う。

そんな僕が他人にするのは祈りだ。祈りというのは基本的に神様や仏にするものである。そういったものというのは願いという形で心の中で呟く。そして祈りというのは基本的に心に余裕のある人間がすることではない。病気が治るように祈る。恋愛が成就するように祈る。他人の、または自分の合格を祈願する。マイナスが0もしくはプラスになるように願うのが祈りだ。富める者がより裕福になるように願うのは祈りではない。(と僕は思う)

そして祈りというのは時として…叶わぬことが多い。

 

届かぬ祈りに叶わぬ願い

 

何が原因か不安でたまらないというのが解消するためにするのが祈りだ。

僕が他人に祈るのもそれが理由だ。

僕は裏切られることが怖い。他人の中の一番でないことくらいわかってはいるがレフトだろうとdhだろうとレギュラーでいたいと思うのは多くの人が共感してくれるだろう。

 

よし。もし信用していたとしよう。でも、違ったら?

ある日、君はレギュラーではなかったんだよ。スタメンは別にいて君は2軍。いや、育成選手だよ。でももうじき戦力外になる。などと突きつけられた日には僕は首を吊るかもしれない。 

 

自分の友達には自分より仲の良い友達がいて結局は僕は暇つぶしに過ぎなかったことを自覚させられる。そんなことを繰り返すうちに僕は人を信用しなくなった。

叶わぬ片思いをするならとっとと諦めて距離をとった方がいい。信用して傷つくなら最初から信用しなければいい。だから裏切られてもいいように祈る。叶うか叶わないかわからないけど祈りならば叶わなくても傷つかない。祈りなんて基本的に叶うものじゃないから。

この思考は間違いかもしれない。でも、もう遅い